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横浜市青葉区藤が丘1-25-4 VIEW HOMES-Ⅱ101
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0455132239


 
2016年 6月 5日
 
 2015年 8月24日の朝、バレイを出発。約200㎞、4時間のボルジャ市へ向かう。
  草原を走行していると放牧されている馬に合いました。
 
 
 

 
 
 

 
 
 

                  宿泊するホテルと食堂
 
    
  

ボルジャ市庁舎                   ボルジャ市行政府表敬訪問
  
 
 

 抑留者が入院した病院跡                抑留者が建てた博物館
 
 
 
 
 収容所跡                 折り鶴を教えています         追悼式
 
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2016年 5月 3日
 
 2015年 8月23日の朝、バレイ周辺慰霊巡拝のため、チタ市を出発。
 バレイまで約350㎞ 6時間の行程です。
 
 草原を走り続けます 

  
 見渡す限り草原です 
 

 
  
  バレイ市行政府表敬訪問
 
 雄大な雲を見ながら追悼式
      
 
 
 
 
 

 
  ドイツとソ連の記念碑。戦争によって、約5,000人の人口のうち、
  3,000人が戦死したという。
 
  
  

    宿泊と食事は、別の場所でした。
 
 
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2016年 4月 3日
 
 2015年 8月22日の夕方。チタ市のホテルに宿泊。チタ市は人口約30万人。
 
   
  ホテルとエントランス
 
 ホテルの食事  
   
 
 
 
   
 ホテルの前の公園
 
 
 公園の子供たち 
   
  
 
 
 
 
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2016年 3月 6日
 
 2015年 8月22日、フーシンガー村行政府表敬訪問、ヒロク周辺慰霊巡拝
 
 
   
 村役場にて
 
  
    
 遺骨が発見された場所
 
 
     

  日本人抑留者が建てた家、収容所所長が住んでいた。   ヒロク村長夫妻
 
 
 
 
 
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2016年 2月 7日
 
 2015年 8月21日の夜は、ヒロク駅近くの素泊まり宿に泊まり、
 8月22日朝、宿の近辺を散策しました。
 
  
  

 
 
  
  

                         庭先の小鳥のえさ台       
 
  
  
  
               小学校のほほえましい花壇
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2016年 1月 10日
 
 2015年8月21日11:45にヒロク駅に到着。マイクロバスに乗り、ハラグン村行政府を
 表敬訪問する。副村長の案内で、ハラグン村周辺慰霊巡拝を行う。
 
  

      ハラグン村役場の前で、副村長さんと一緒に
 
  

       スミレ会建之碑
 
ハラグン515労働隊、516労働隊の生還者がスミレ会を結成し、515労働隊150柱、
516労働隊179柱、519労働隊53柱、520労働隊14柱の遺骨集をされた。
その碑の前で追悼会を行う。
 
  

   全国抑留者協会建之碑(昭和21年5月建之)
 
  

    フルチエイ川から515労働隊収容所を望む
 
大川義俊伯父が収容された515労働隊収容所へは、時間がないため行くことが
出来なかった。フルチエイ川の橋の上から一同が黙祷を捧げた。
 
  
  
        この荒野が、冬は凍土になる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2015年11 月 1日
 
  シベリア鉄道での列車移動 2015年8月20日~21日 
 
   食堂車
   
  

     朝食                  夕食
 
  

    車窓から               停車駅
  
  

      エロェイ・バーヴロヴィチ駅停車
 
  

   車窓から
 
 
 
 
 
 
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2015年10月 4日 
 
アムール川
 
悠々と流れるアムール川の川幅の広さに圧倒される。アムール川の川幅は、ハバロフスク付近では約1.5キロから2キロで、河口近くになると40キロに達するという。冬になると凍結し、氷の厚さが1メートル以上になるそうだ。11月下旬~4月下旬とハバロフスクの冬は長く、真冬の気温は、マイナス18~-32度、時としてマイナス40度近
くにもなるそうだ。
 8月19日の朝起きて、アムール川沿いを散歩していると、故郷の盛岡を流れる中津川が思い出された。子供の頃カジカを取って遊んだ。上ノ橋から上流に子供が10人ぐらい乗って遊べる亀の甲羅のような御影石があった。初夏になるとその御影石の周りは、ブルーの絨毯が敷かれたように忘れな草が咲く。川岸から川の中を歩き、亀の甲羅のようにツルンとした石の上に寝ころんでを見るのが好きであった。流れる水の心地よいハーモニー、風は優しくからだをで包み、微かな花の香が漂う。いつの間にか空想の世界からうとうと夢心地になる。
中津川に掛かる54メートルの上ノ橋には、欄干に8個の青銅擬宝珠があり、川縁にある町家との風景には城下町の風情がある。故郷を思い出したのは、何なのだろうか。
 
アムール川
 
――そうか。シベリア抑留体験のある酒井與助さんが話した“ふるさとの歌”を思い出していたのだ。
「重労働をして話をすることも出来ないくらい疲れて収容所に帰った。その暗闇の中で誰かが『兎追いしかの山/小鮒釣りしかの川/夢は今もめぐりて/忘れがたき故郷・・・』とふるさとを歌うと次々に仲間達と歌い合唱になった。日本、自分のふるさとに早く帰りたい・・・・その思いは強かったです。」
と83歳の酒井さんは言った。
「酒井さん、私の伯父もシベリア抑留中に死亡しています。伯父のことは、何も知らないので、抑留の話を聞かせていただけませんか?8月のSニュースに『シベリア抑留の体験』を載せたいと思います。」
 「う~ん。・・・・いいでしょう!」
 と言って下さった。今は、亡き酒井與助さんの軌跡として、20015年8月15日のSニュースを添付しようと思う。
 
――シベリア抑留のことを伺いたいと思います。軍隊には、何歳の時に入隊しましたか。
酒井 今まで、死んだ家内にも話したことがありませんでしたが、戦後60年になりますから話そうと思います。20歳の12月1日ですから、昭和15年ですね。仙台の第2師団所属、甲府の49連隊に入隊しました。仙台の第二師団満州要員とし、昭和16年1月10日にハルピンへ出発しました。
 昭和18年1月から関東軍のスキー部隊として、朝鮮とソ連の国境の通化にいました。そして、4月から延吉の将校養成学校へ派遣され、終戦直前までそこにいました。私のし所属していた部隊が昭和19年3月南方へ派遣されることになり、復帰命令がきたので、部隊が駐屯している所へ行きましたが、すでに部隊は出発していました。私は、ソ連国境に配属されていたので、間に合わなかったのです。後を追って大連まで行き、大連の司令部でどうしたらよいかと聞きました。数時間待たされて、その結論は、養成学校へ帰るようにと言われました。そのままハルピンへ残った。だから南方へは行かなかった。私は残ることになりましたから、ソ連の国境線琿(こん)春(しゅん)へ70人ぐらいの挺進隊(ていしんたい)で出発し、終戦まで駐屯しました。
 
――昭和20年(1945年)8月9日午前零時を期してソ連軍攻撃開始、日ソ間戦争状態に入りましたが、終戦を知ったのはいつですか。
酒井 終戦を知ったのは、8月18日の朝でした。部隊と全然連絡が取れなくなり、16日に斥候を出したら、それが2日後に帰ってきました。ソ連軍が攻めて来たことを見て来た斥候からの報告で終戦を知りました。というのは、琿(こん)春(しゅん)からソ連軍があっという間に侵入してきましたからね。日本の部隊は分断されてしまい、連絡が取れなくなりました。8月19日、師団司令部がある虎(こ)林(りん)へ行こうと言うことになり、各部隊が15人づつに分かれ、それをまた半分に分けて、私は7人で行くことになりました。ところが、8月24日、虎(こ)林(りん)で朝鮮の自警団に捕まり、虎(こ)林(りん)の司令部に連れて行かれ、収容する場所がないために馬屋に放り込まれました。シベリアへ出発したのは、20年11月頃、雪がちらちら降っていましてね。樺太の対岸で山の中ですから、ツンドラが約50cmの厚さ、その下が凍土です。そのツンドラや木の枝を燃し凍土を溶かして道路造りをさせられました。道を造りながら1週間ぐらい毎日毎日歩いてたどり着いたところが、ロシア領ウスリークスの近く、ソフィニアー
収容所で、日本人200人ぐらいが捕虜として収容されました。
 
――収容所での生活を話してくださいますか?
酒井 食べ物は、ひどいもんですよ。飯盒(はんごう)の掛(かけ)子(ご)(中ぶた)に半分しかご飯がありませんでした。朝飯は黒パン100g、水のようなスープが飯盒(はんごう)の掛(かけ)子(ご)に一杯。モミのときもあり、飯盒(はんごう)の蓋で炒ってから食べましたよ。たんぱく質が不足のため、我先にネズミを捕り、皮をむき、火で焼いて食べましたので、多かったネズミがいなくなりました。私はネズミを食べませんでしたが、ヘビをスープに入れて食べました。それに野菜が足りないので、松葉を煎じてその汁を飲みました。松葉がないときは、木の枝に下がっている苔を茹でて食べました。1週間に一度、風呂に入れましたが、風呂といっても一斗缶六分目(約10ℓ)
のお湯で、体全部を洗わなければなりませんから、これには参りました。虱には随分悩まされましたな――。鉄道を敷くために、木を伐り出して、それを運ぶ作業をやらされました。厳寒の中でのこの労働は過酷でした。太さ1mぐらいの木を2人一組で腰を下ろしてノコを引きました。木を伐り倒すのに数時間かかりました。寒かったな。マイナス40度もなるのですから。倒した木の枝を払い、丸太にして鉄道を敷くために使う。他は薪にするために割りました。そんな毎日でした。一食100gのパンで労働せよとは無理な話ですよ。当然、栄養失調になりますよ。栄養失調で亡くなる人が大半でした。
 昭和22年の2月、熱があり結核を疑われて、朝鮮の江南にある三合理と言う病院へ行くことになりました。江南までは、汽車で約1ヶ月かかり、そこからトラックで半日ぐらい揺られたかな。日本の練兵場跡が療養所になっていました。医者はいなくて看護婦だけでしたね。七度五分ぐらいの熱が続きました。収容所よりは食べ物が少し良くなり、黒パンが毎食100g、スープ、3分粥がでました。3000人ぐらい収容されていました。そこで、新生コレラが流行して、死者の区分け担当をさせられました。半分ぐらい死にましたね。私もコレラにかかりましたが、運良く助かりました。12月30日にその病院全部が日本へ帰国することになり、病院船で佐世保に着きました。第1回目のシベリア引揚げでした。
――辛いことを話してくださり有難うございました。最後に、青春時代を軍隊で過ごしたわけですが、それを振り返るとどんな想いでしょうか。
酒井 よく生きて帰ったな――と思います。ほぼ8年間の軍隊生活を送りましたが、悔いのない人生の過程でした。たまたま、私と同年代の人達が通った道のりで、皆が一緒でしたから。そして、若くて元気なので苦になりませんでした。
 
 過酷なシベリア抑留体験を直接聞いたのは、酒井與助さんが初めてであった。酒井さんが亡くなった今、その証言と伯父の抑留が重る。小学生から岩手県下閉伊郡岩泉村で過ごした伯父は、川で泳ぎ真っ黒になっていたと聞く。きっと“かの山、かの川”を思い出し、帰る望みを抱いたに違いない。辛い時、苦しい時、悲しい時、ひとはささやかな望みによって慰められる。故郷もその一つである。
伯父と同郷の歌人石川啄木は
   ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし
     ふるさとの山は ありがたきかな
と詠んだ。
 
 ハバロフスク駅 

 
過酷な抑留生活を強いられた人たちの気持ちに、どれだけ近づくことが出来るだろうか?
S7-568便は13:47ハバロフスク駅を出発した。ヒロクまでの二泊の旅である。
 
 
 
 
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2015年 9月6
日                                     
 
 
ハバロフスク

 
8月18日、朝10時頃成田空港に着き、午前11時からの巡拝団の結団式会場、第2
ターミナル本館4階出発ロビーラウンジ「A-4」待合室に向かった。
厚生労働省の団長Oさん、Sさんが自己紹介をした。続けて通訳のNさん、遺族が紹
介され、結団式がなされた。結団式としおりに書いてあるので、もっと重々しい儀式か
と思っていたが、注意事項が話され、和らいだ雰囲気であった。
S7-568便に乗り、14:25成田空港を飛び立った。
 
ハバロフスクの上空を旋回する飛行機の窓から下に目をやると、大きな港が見えた。
「大きな港ですね。何と言う港でしょうか?いよいよハバロフスクに着きますね!」
「あれは、海の港ではなくて、アムール川ですよ。」
「これがアムール川ですか?海かと思いました。川幅が広いので・・・。」
「アムール川は、モンゴル・中国・ロシアを流れ、オフォーツク海に注いでいます。
北海道に来る流氷は、アムール川からの流水により塩分濃度が薄くなって、海水が氷
結して流氷となるそうです。」
と通路を挟んで座っている厚生労働省のSさんが教えてくれた。
遠いと思っていたシベリア。成田空港から約4時間。心理的距離が縮まった。
HOTEL INTOURIST
 
ハバロフスク空港での税関の手続きが終わり、現地の旅行会社のバスに乗るとロシア人の女性ガイドさんが
「皆様ようこそ、ハバロフスクへいらっしゃいました。ご案内をさせていただくダリ
アです。よろしくお願いいたします。ハバロフスクは、ロシア極東部の首都で、人口
は約60万人です。モスクワとの時間差は、7時間あります。明日、皆様が乗るシベ
リア鉄道は、モスクワまで8,523kmあります。飛行機からご覧になったアムール川
の全長4,368kmあり、世界で8番目に長い川です。アムール川に沿って機械工業、
金属工業、木材業が盛んです・・・・・。」
と流暢な日本語で話す彼女は、ハバロフスクの大学に在学中、大阪外語大学に国費で留学したという知的なロシア美人である。
「皆様が宿泊するHOTEL INTOURISTに着きました。夕食は、ホテルで召し上がっていただきます。食事の後は、お疲れでしょうから、ゆっくりお休みください。」
団長のOさんから「夕食は皆さんと一緒にしますから、時間までに集まって下さい。
それでは、部屋割りを発表します。」
遺族のFさんと同室になった。

 
厚生労働省から7月下旬に送られてきた『旧ソ連抑留中死亡者慰霊巡拝のしおり』を見ていた妻が
「〈巡拝参加にあたっての留意事項〉を読みました?日本政府が派遣する巡拝団と書
いてあるわよ。日本政府ね~!凄いわね!」
と感心していた。
妻から渡された『しおり』を手に取り、その箇所へ目をやると
 2 日本政府が派遣する巡拝団の一員であることを自覚し、慰霊の心を持って行動
するように心がけて下さい。本巡拝団の目的が無事に達成できるようにご協力
お願いします。また、団体行動ですので、個人の身勝手な行動は厳に謹んで下
さい。
――そうか!個人的な自由な旅ではなく、日本政府が派遣する巡拝団の一員なのか。
と責任を感じた。
シベリア抑留は、驚くことに約60万人の日本人が捕虜となり、約5万人が厳寒、飢餓、重労働のため死亡した。抑留体験記を読むとその悲惨さに目頭が熱くなり、悲しみで胸が重くなってくる。
――太平洋戦争は、8月15日に終わったのになぜ、60万人もの日本人が抑留されたの
か!伯父の大川義俊もその一人だ。
と素朴な疑問が湧いてくる。
戦後生まれであるから、大川義俊伯父に会ったことはない。伯父の面影も知らない。だが、伯父のシベリア抑留を手がかりに、シベリアの大地に立ち、空気を吸い、ロシア人と接することにより、この慰霊巡拝から、疑問の糸口を見出したいと思う。
(2016年1月31日)
 
 
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2015年12月31日                                     

母の遺言


6月の梅雨入りの夕方、電話がなった。            



「はい、藤澤です。」「神奈川県庁援護課のMです。藤澤知保さんですか?」         
「はい、そうです。」
「ご無沙汰しています。昨年申し込まれた慰霊巡拝のことで、電話をしました。
今、話し
てよろしいでしょうか?・・・伯父様が亡くなったザバイカル地方の慰霊巡拝が8月18日
から30日の予定であります。急なことですが、申し込まれますか?」
「3年、4年先と伺っていましたが、本当に急ですね!今度、いつあるか分かりませんから、
申し込みます。」
と返事をして、受話器を置いた。
 伯父とは、シベリア抑留中に亡くなった母のすぐ上の兄のことである。
すい臓癌を患っていた母が
「シベリアで死んだ俊ちゃんの墓参に行ってちょうだい・・・・・。墓参に行けなかった
ことが、一番の心残り・・・・・」
と言って息を引きとったのは、2013年9月のことである。

母の遺言をかなえるため、墓参の方法はないかと厚生労働省に問い合わせると、
「窓口は県庁ですから、住んでいるところの県庁援護課に聞いてください。」
との返事だった。

神奈川県庁

 早速、神奈川県庁援護課を尋ねると、担当のMさんが
「伯父様の大川義俊さんとの関係を証明するため、大川義俊さんの本籍から戸籍謄本と、
藤澤さんがお母さん、藤澤美喜子さんの子供であることを証明するための戸籍謄本を取り寄せてください。」
と必要書類について詳しく説明をしてくれた。
取り寄せた戸籍謄本と軍歴を見ると、昭和20年2月10日に弘前の第107師団歩兵177連隊に入営し、満州において8月12日ソ連軍と交戦。8月29日武装解除。10月26日満州里を経てソ連軍の捕虜となる。
昭和21年2月25日、ソ連チタ州チタ地区ハラグン収容所に於いて戦争栄養失調のため戦病死、と記されていた。
若干21歳であった。

ザバイカル地方の慰霊巡拝申込の書類を揃えていると
「神奈川県庁援護課のMです。7月6日までに今回の慰霊巡拝申し込みを厚生労働省へ提出しなければなりませんので、巡拝に必要な書類は揃いましたか?」
と電話があった。
「7月1日にパスポートの手続きをしようと考えています。間に合うでしょうか?」
「では、パスポート申請の後、揃った書類をお持ちください。厚労省にパスポートのコピーを提出しますから、神奈川県庁援護課からの〈平成27年度ソ連抑留死亡者(ザバイカル地方)慰霊巡拝の参加者の決定等について(通知)〉をお持ちになり、緊急発給をお願いします。と言って下さい。そして、発行されたパスポートを7月6日に当方へご持参下さいますか?」
「はい、承知しました。」
手元にあるパスポートの発行日を確認すると10年前である。その日付を見て、ウイーン・ザウツブルグ・ブダベストへ甥と行ったことを思い出した。
横浜パスポートセンターに行くと担当者が、神奈川県庁援護課のMさんに問い合わせてくれた。
「Mから事情を伺いました。日本政府派遣の慰霊巡拝の決定通知書もありますから、緊急発給の手続きをします。7月6日の午前10時以降に受取にお越しください。」
と親切に対応してくれた。

7月6日、パスポートを受け取りに横浜パスポートセンターに行った。
「用意してあります。名前、生年月日等のご確認をお願いします。」
「間違いありません。」
「2週間の長旅ですから、くれぐれも気を付けて巡拝をなさってください。先の戦争では、沢山の方々がなくなりましたので・・・。」
「配慮下さりありがとうございます。」
戦没者への追悼の気持ちが伝わってきた。

神奈川県庁援護課を訪れ、Mさんにパスポートを渡すと
「これで、厚労省の締め切りに間に合います。パスポートのコピーをさせてください。」
「大変お手数をおかけいたしました。昨年、伺った時にザバイカル地方慰霊巡拝は、未定と言われたので、悠長に構えていました。思ったより早く墓参に行き、母の遺言をかなえることが出来ます。」
と嬉しさを伝えた。
「厚労省からの通知が遅かったので、急がせてしましました。慰霊巡拝に行くことが出来て本当に良かったです。健康にくれぐれも気を付けて行ってきてください。」
と言ったMさんは、その嬉しさを共感してくれた。

日本紫陽花



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9月7日

この夏は、猛暑が続き藤が丘駅前ロータリーの植木もぐったりしていました。
まだまだ気温が上がったり、急に涼しくなったりして身体がついていけないのではないでしょうか?
暑い時には、どうしても冷たい物(アイスクリーム、冷たい飲み物等)をとる機会やエアコンの使用が多かったと思います。
そのため、体が冷えています。それにより、体のだるさ、下肢の冷え、頸肩のコリを自覚される方がいらっしゃることと思います。
東洋医学的には、エアコンにより体全体が冷えることにより、肺の働きが停滞していますので、肺の働きを補うための治療が必要です。
肺は、吸収された栄養分を気として身体全体にめぐらす大切な働きをしています。
冷たい物を摂りすぎると胃腸の働きが停滞しますから、脾胃の働きを補い気血の流れを良くする経絡の治療をお奨め致します。
早いうちに身体を調えることは、大きな病気にならないための予防になります。

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8月15日

9月10日(水)から、ゆる体操教室がはじまります。体をゆるゆるにゆるめ、笑いがあふれる楽しい体操です。
6人限定ですので、申し込みはお早目にお願いいたします。詳しくは、 こちらをごらんください。

ゆる体操関連書籍のご案内

1週間ステップアップ「ゆる体操」高岡 英夫著



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8月04日

藤ヶ丘駅、昭和大学藤が丘病院から、ふじさわ鍼灸院までの
道のりを動画で撮影してみました。お越しの際にご覧ください。

藤ヶ丘駅からは徒歩約5分ほどです。
藤ヶ丘駅方面から来られますと、藤が丘病院の前の道路を通過して
進行方向左手にあるローソンを越え、左手に見えてくる茶色の
三階建てマンションの一階となります。

看板が目印です!
動画はこちらからご覧ください↓

http://www.youtube.com/watch?v=gK6_G3wM_f4

http://www.youtube.com/watch?v=WamONwDzOJs




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8月01日

ふじさわ鍼灸院では待合室にはいろいろな書籍を常備しており、
自由にご覧いただくことができるようにしております。
うつなどに関する書籍や、女性特有の症状に関する書籍なども
置いておりますので、お越しの際にお気軽にご相談ください。





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7月30日
こちらは治療室に置いている枝ぶりの良いグリーンです。
みなさまにご紹介したかったのですが、写真が縦長になっ
てしまい他の写真とバランスを取るのが難しいので、ブログ
のほうで紹介させていただくことになりました。
ふじさわ鍼灸院では、みなさまにリラックスして頂ける環境を
ととのえてお待ちしております!




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7月19日

まだまだ梅雨空が続きそうですね。

ふじさわ鍼灸院のチラシを制作いたしました。
看板のイメージあわせてデザインしてもらいました。
田園都市線の藤ヶ丘駅近隣の皆様には新聞に折り込み
させて頂く予定です。
お手元に届きましたら是非ご一読ください。






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